ライトノベル翻訳事情 文体編(2)

 ライトノベルに限らず、小説の翻訳というのは色々な困難を抱えています。
 日本語における多彩な一人称、二人称が英語ではIとYouにしか訳せないという制約などは、日英翻訳で常々良く言われていることです。日本語であれば、私/僕/俺/ワシ/あたし/あちき/オラ....などの一人称を使い分けることで、話者の性格や社会的身分などを表現することが可能ですが、英語ではすべてIと訳さざるを得ず、失われたニュアンスを別の方法で表現しなくてはなりません。会話文の語尾なども、キャラクター描写には重要なファクターですが、英語では別の方法に置き換える必要があります。
 しかし、アニメやマンガ、ライトノベルでもしばしば現れる「キャラ語尾」は、お手上げとしか言い様がないでしょう。「〜だっぴょーん」などと発言するキャラの台詞を、いったいどう訳せばいいのでしょうか。

 前回、見てきたように、ライトノベルの英語翻訳の世界ではこういうややこしい問題は、だいたいスルーされて、ニュアンスを消した翻訳が行われてきたようです。「軽く読める」のがライトノベルなのですから、そんなことを構っている必要も無いのでしょう。
 ただ、ライトノベルにしばしば現れる奇怪な文章をスルーし続けていいのでしょうか。規範的でない文章を敢えて使っているのですから、そこを避けたままで本当にライトノベルを紹介していることになっているのでしょうか。

 私の興味を引いたのは『涼宮ハルヒ』における「鉤括弧の付け外し問題」でした。『涼宮ハルヒ』シリーズの文体はライトノベルの水準の中で見ても少し癖がありますが、その一つとして、語り手(キョン)の台詞に鉤括弧「……」が付いたり外れたりする現象があります。普通に考えれば、鉤括弧が付いていれば声に出した台詞で、鉤括弧が付いていなければ語り手の内面の声と解すれば良いのですが、『涼宮ハルヒ』では鉤括弧が外れた「内面の声」としか思えないフレーズに、別人物が返答しているシーンが頻発し、奇妙な印象を醸し出しています。たとえば、以下の文章ではキョンとハルヒの会話が明らかに成立していますが、キョンの台詞に鉤括弧が付けられていません。

 キョンの台詞から鉤括弧を一貫して抜いているのなら、まだ話は解るのですが、どこで鉤括弧がついてどこで外れるのかも、恣意的に変わるらしく、まったく法則性がありません。そして、これを英語やフランス語はどう訳しているのか。

(原文)

「運動系も文科系も本当にまったく普通。これだけあれば少しは変なクラブがあってもよさそうなのに」

何をもって変だとか普通だとかを決定するんだ?

「あたしが気に入るようなクラブが編、そうでないのは全然普通、きまってるでしょ」

そうかい、決まってるのかい。初めて知ったよ。

「ふん」

(翻訳サイトStrato版)

“The athletic and arts clubs are all so normal. With so many clubs, you’d think there’d be at least one weird one.”

How exactly do you decide if it’s normal or weird?

“Any club I like is weird. Everything else is normal. Isn’t that obvious?”

Really. Obvious, is it. First I’ve heard about it.

“Hmph.”

(YenPress版)

“The athletic and arts clubs are all so normal. With so many clubs, you’d think there’d be at least one weird?”

“How exactly do you decide if it’s normal or weird?”

“Any club I like is weird. Everything else is totally normal. Isn’t that obvious?”

“Really?” Obvious, is it? First I’ve heard about it.

“Hmph”

 原文で鉤括弧抜きの場所は、翻訳サイトStratoではクォーテーション“……”抜きで翻訳されていますから、原文通りです。でも、YenPressではクォーテーションをつけています。

 翻訳サイトBakatsukiからは『ハルヒ』は削除されているのですが、この鉤括弧の使い方に関する議論が残されていました。そこから推測したところでは、鉤括弧抜きの箇所は、キョンの内面の声であると言う解釈から、丸括弧(……)で翻訳されていたようですが、これには「原文の効果を損なう」として反対する人も居たようです。ライトノベルの崩れた感じを尊重するファンが根強く居る一方で、「正しい英語」に整えようと言う意識も強く働き、正式な出版物ではそちらが勝つということなのではないでしょうか。

 フランス語の場合を以下に示します。

(翻訳サイトBaka-tsuki版)

« Les clubs de sport et les clubs culturels sont tous les mêmes. Si seulement il pouvait y avoir un club vraiment cool dans cette école… »

« Et qu’est-ce qui te donne le droit de décréter qu’un club est nul ou non ? »

« Ferme-la. Si j’aime un club, alors il est vraiment cool. Sinon, il est minable. »

« Vraiment ? Je sais pas pourquoi, mais j’aurais parié que tu répondrais ça. »

« Humph! »

(Hachette版)

—Ces clubs sont tous d’une banalité absolue, ceux de sport comme ceux de culture. Il y en a tellement que je m’attendais à en trouver au moins un d’étrange…

(Qu’est-ce qui fait qu’un club est «banal» ou «étrange»?)

—Un club qui m’intrigue est «étrange», le reste est «banal». C’est pourtant evident.

(Ah bon, C’est evident. J’aurait appris quelque chose.)

—Phh.

 翻訳サイトBaka-tsukiでは会話文を示す«……»で処理しています。これに対して、出版物のHachette版では丸括弧(……)での処理で、通常の会話文を示す長ハイフン— と使い分けています。どちらも、まったくの地の文にすることはしていません。フランス語圏は、英語圏よりも文章への規範意識が高くて、ライトノベルのくだけた文体を許容し難いということなのでしょうか。

 中国語や韓国語ではどうなるのか、翻訳出版された『涼宮ハルヒの驚愕』で確認したところ、鉤括弧抜きの部分はそのまま鉤括弧抜きで翻訳されていました。会話文を鉤括弧やクォーテーションで囲む書記法が東アジア圏で何時頃確立したのかはよく知らないのですが、欧米に比べるとこの辺りの書記法に拘りはないのかもしれません。

 以上、9回に渡ってライトノベルの翻訳事情について書いてみました。日本のポップカルチャーを受け入れていると思われている米仏でも、ライトノベルという出版形態は苦戦中ということが示せたのではないかと思っています。

 本来なら量的に多い、中国語や韓国語への翻訳事情にもっと力を入れるべきなのですが、中国語も韓国語も出来ないので手が付けられませんでした。ご寛容ください。

(報告:太田)

 記事提供:ライトノベル研究会