ラノベ史探訪(1)-「スニーカー文庫」:名称の公募から決定まで【前編】

角川スニーカー文庫 (以下、スニーカー文庫)といえば、水野良『ロードス島戦記』シリーズや谷川流『涼宮ハルヒ』シリーズで知られるライトノベルレーベルであり、富士見ファンタジア文庫と並ぶ古参レーベルのひとつとして知られています。その誕生は1980年代後半、ちょうど「ライトノベル」という名称が誕生する少し前のことでした。

1987年10月に「現代日本文学」分類の「角川文庫・緑帯」から「角川文庫・青帯」として独立、1989年2月に公募で選ばれた「スニーカー文庫」の名称が巻末の既刊紹介や帯で使用され、1989年8月に「角川スニーカー文庫」として正式に創刊。そのため通巻番号とカバーをはずした本体表紙デザインは角川文庫と共有している。
現在はいずれも角川グループ系列の電撃文庫(アスキー・メディアワークス)、富士見ファンタジア文庫(富士見書房)と並ぶメジャーレーベルである。  (Wikipedia「角川スニーカー文庫」より引用)

さて、おそらくスニーカー文庫に興味のある方なら一度は目にしたことがある上記のような解説に、ちょっと気になるフレーズがあります。お気づきでしょうか?
そう、それは「スニーカー文庫」という名称が「公募で選ばれた」という点です。

多くのレーベルが出版社側でレーベル名称を(おそらくいちから)決定しているなか、あえて読者側にその権利の一部を委ねたというのはスニーカー文庫の特徴と言えるでしょう。しかし、「公募で選ばれた」という事実がWikipedia記事やライトノベル解説書で紹介されているほど知られている一方で、公募の経緯や、一体どのような名称候補があったのかについてはあまりふれられていないように思います。そこで今回、資料調査の過程で判明した事柄を踏まえながら、公募から名称決定までの流れを「前編」と「後編」の2回に分けて紹介したいと思います。

【「角川文庫・青帯」誕生】

公募の話題に移る前に、まずは「角川文庫・青帯」について簡単にふれたいと思います。1987年、角川文庫のなかでもとりわけ若者向け作品を中心に扱う「角川文庫・青帯」が誕生しました。当時の資料を調べてみると、例えば「野性時代」1987年12月号の角川文庫の広告には「若い読者を主な読者対象とした人気作家・作品を中心に新しいジャンル(青色帯)が、今月より誕生します」と解説されています。なお、当時の広告に見られた「角川文庫・青帯」のキャッチフレーズには「角川文庫のニューウェーブ だれだって冒険中 YOUNG SELLERS」(「朝日新聞」1988年4月24日朝刊の角川文庫広告記載)とあり、特段「角川文庫・青帯」という名称を前面に押し出してはいなかったようです。下の写真を見ても分かりますが、「角川文庫・青帯」はレーベル名称というよりも、あくまで角川文庫内の一ジャンルとされていたと考えられます。

(「野性時代」1987年12月号)

「角川文庫・青帯」の初期ラインナップは富野由悠季『機動戦士ガンダム』の小説版で、1988年3月の劇場版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』公開時には、「話題の映画とドッキング。この春、日本列島を賑わす待望のビッグキャンペーン、角川書店から。」(「ドラゴンマガジン」1988年3月号の角川文庫広告記載)として「富野由悠季 ガンダムフェア」を大々的に開催していました。

また、パソコンゲーム誌「コンプティーク」(角川書店)で連載中だった松枝蔵人『聖エルザクルセイダーズ』、水野良(原案:安田均)『ロードス島戦記』の他、西谷史『ウルティマ妖魔変 第1部水竜の章』、山本弘(原案:安田均)『ラプラスの魔』、飛火野耀『イース 失われた王国』など、ゲームのノベライズ作品も同時期に刊行されています。ところですでにお気づきかもしれませんが、上の写真のうち『聖エルザクルセイダーズ』だけはスニーカー文庫版で、それ以外の3冊が「角川文庫・青帯」版です。見かけ上の違いとしては、スニーカー文庫版の場合、表紙上に「SNEKER BUNKO」と記載された青いラインがある、表紙下に「角川文庫」ではなく「角川スニーカー文庫」とあるなどです。

 

(左:『ロードス島戦記』角川文庫版初版/右:角川スニーカー文庫版)

新刊発売時の帯も角川文庫の新刊という形になっています。「角川文庫・青帯から待望の新刊!!」くらいの文句が並んでもいいように思われますが、前述のように「角川文庫・青帯」が角川文庫の一ジャンルとして包括されていたと考えると、この文句は自然なものと言えるでしょう。

しかし広告の掲載先によってはその範疇でなく、例えば「コンプティーク」掲載の広告では「角川文庫〈青帯〉新ラインナップ」と銘打たれたものがあります(「コンプティーク」1988年5月号掲載の角川文庫広告記載など)。掲載先によって使い分けがあったか?については、今後もう少し調べてみる必要がありそうです。ともあれスニーカー文庫が正式にスタートするまで「角川文庫・青帯」は、角川文庫という大きな枠に組み込まれおり、完全に独立したレーベルとして存在していたわけではなかったといえるでしょう。

【ネーミング公募開始 賞金なんと100万円!!】

 そうしたなか、1988年の夏頃から「角川文庫・青帯」のネーミング公募が開始されます。
この公募には賞金が用意されており、最優秀賞にはなんと賞金100万円(1点)と、現在のライトノベル新人賞なみの金額です。優秀作品にも5万円(10点)、参加賞として1000人にテレホンカードという太っ腹ぷりですので、これは相当応募がきただろうなぁと。なお、下のような広告は同時期の「コンプティーク」にも掲載されており、現在も調査中ですが他の媒体にも掲載されていた可能性が高く、かなり広く募集をかけたのではないかと思われます。

 

(「ドラゴンマガジン」1988年10月号 角川文庫広告より)

上の広告によると応募の締切りは9月30日で、10月下旬に「朝日新聞」で結果発表とあります。いったいどんな名称があつまったのか。それについては次回の「後編」で紹介したいと思います。

次回:ラノベ史探訪(2)-「スニーカー文庫」:名称の公募から決定まで【後編】

【文責:山中】

 記事提供:ライトノベル研究会