オリジナルインタビュー「ラノベの素」。森橋ビンゴ先生『東雲侑子は恋愛小説をあいしはじめる』

オリジナルインタビュー「ラノベの素」。

今回は『東雲侑子』シリーズで人気爆発中の森橋ビンゴ先生です。

デビューしてから10年のいろいろなお話を伺いました。

東雲侑子は短編小説をあいしている

著:森橋ビンゴ イラスト:Nardack

あらすじ

何事にも無気力、無関心な毎日を過ごす高校 生、三並英太【みなみえいた】。楽そうだからという理由だけで図書委員になった彼は、ともに委員を務める東雲侑 子【しののめゆうこ】の熱のない静けさに、自分の空虚さに似たものを感じていた。しかし偶然彼女の秘密を知ってしまったことから、自分との違いを思い知ら される英太。だが、その秘密のために、彼女と距離を縮めることとなり、失ったはずの感情に胸を締めつけられていく……。早熟な少年少女に贈る、もどかしく 苦いラブストーリー。

――本日はよろしくお願いします。まず森橋先生が影響を受けた本や作家、ゲームや映画などのお話を聞かせてください。

こちらこそよろしくお願いします。

いわゆるファミコン世代だったので、娯楽と言えばテレビゲームが主体でしたし、小さい頃はあまり本を読んだ記憶がありません。

熱心に読書を始めたきっかけは中学の時、村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだ事だったと思います。

そこから小説の面白さに気付いて、色々な作家の本を手に取るようになりました。

作家をやる上では、山田詠美の「ぼくは勉強ができない」、村上春樹の「ノルウェイの森」(敬称略)に強い影響を受けていると思います。大学に入ったあたりで坂口安吾、チャールズ・ブコウスキーをよく読んでいたので、そのあたりの影響も否定できません。

ゲームで強い影響を受けたのは「タクティクスオウガ」、「リンダキューブ」、「メタルマックス」あたりでしょうか。テキストに独特の力あるゲームが昔から好きでした。

映画は高校の時にタランティーノの映画を見て、そればかり見てました。

小説でもゲームでも映画でもそうなんですが、一度気に入ると同じものばかり繰り返し読んだり観たりする傾向があります。

――森橋先生が作家の道に進んだきっかけは?

現在の「エンターブレインえんため大賞」の初期の「第3回ファミ通エンタテインメント大賞」のドラマ企画部門で優秀賞を頂いたのがきっかけです。ドラマ企画部門は文字通り「企画書」による賞でしたが、受賞作は商品化するという規定があり、その商品化にあたって小説という媒体が選ばれました。

ぶっちゃけこの時点では、担当編集の方はボクが小説を書けるかどうかもよく分かっていなかったようです。

幸い、ボクは小説を書く事を仕事にしたいと思っていた人間だったので、割とスムーズに小説化する事ができ、その後も仕事を頂けるようになりました。

――ご自分の本をはじめて手に取ったときのことを覚えていますか?

単純に、嬉しかったです。

ただデビューから10年経ってもそのあたりの感覚はそこまで変わりません。

自分の仕事が物理的な形になる、というのはどれだけキャリアを積んでも嬉しいものです。

――デビューして10年、作風や作品に関して変わってきた部分などありますか。

正直、本が売れない作家だった事が少なからず影響していると思うんですが、作品ごとに何らかの「テーマ」のようなものがあって、それを実践するというスタイルで書いていました。テーマというのは物語の軸的な意味ではなく、書く側の人間として「やってみたい事」という意味のそれです。

具体的に言うと、実在の詩を断片的に章間に配置してみたり、2人の視点で交互に書いてみたり、3巻構成でABC(性的な意味で)のステップを踏ませてみたり、ひとつの文章をやたらと長くしてみたり、とか。

悪く言うと「実験」ですが、そういう新しい試みを何度もしてきた事で、自分の書くべきものや書く上でのスタイルをはっきり意識できるようになったと思います。そのあたりはそういうチャレンジに目を瞑ってくれた担当さんに感謝しなくてはなりません。

ここ最近は1人称による小説を書く機会が増えましたが、これも自分の書きたいものを突き詰めていくと、結局1人称が最も適しているという判断ができたからです。

――『ナナヲチートイツ』などの変わった作品を書くことが続いていた中で、『東雲侑子』シリーズのようなシンプルなラブストーリーをかくきっかけとは。

本当に正直なところをぶっちゃけてしまうと、もう後がなかったんです。次の本が売れなかった場合、おそらくボクの本は二度とエンターブレインさんから出しては頂けないだろう、と。

前述の「実験」的なものを繰り返してきた背景にはボクの「飽きっぽさ」や「天邪鬼」的な気質が少なからず影響していて、同じようなものをまた書く事に強い拒否感があったんですね。

しかし担当さんと何度となく話し合いをした中で、やはり「三月、七日。」の路線しかないだろう、という事になりました。ボクの本の中で唯一増刷された「成功例」が「三月、七日。」だったので。

それで禁を解く形で「純愛物」的な路線を書く事になりました。

「三月、七日。」が2004年の作品なので、その決断をするまでに7年近い間が空いた事になります。

ただ、その7年の紆余曲折が無駄であったとは思いません。実験的に色々な物を書き続けた中で残ったものが、「東雲侑子~」のシリーズには活かせていると思うし、それがなくては書けなかっただろうとも思っています。

そういう意味では、これまでの自分の集大成的な作品が「東雲侑子は短編小説をあいしている」だと言ってもいいのかもしれません。

また非常にシンプルな内容だとよく言われますが、ボクの中ではあまりそういう意識はありません。書くべき事を適した文体で書けば、あの濃度でじゅうぶん満足感は与えられるという判断です。

詰め込み過ぎるともたれる内容になってしまいがちなので。

あらすじ

『幸せになんてなれるわけない。いい事なんて起こるわけない。友達なんてできるわけがない』

『自分は無理をしているのだろうか。無理をするのは悪い事なの だろうか』

孤独で寂しがり屋な少女、七日。優等生を演じ続ける少年、三月。高校一年の春間近な日。クラスメートとのキス。運命の悪戯か偶然か、二人は出会 い、惹かれていく―。拙くも、キュンと切ない、少年と少女の恋の軌跡。

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