インタビュー「ラノベの素」。榊一郎先生「アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者1 」
オリジナルインタビュー「ラノベの素」。今回は12月2日創刊講談社ラノベ文庫より「アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者1」が発売された榊一郎先生が登場です。
あらすじ
異世界交易の切り札は『萌え』だった!?
高校中退状態の慎一が、セッパつまったあげくの就活で得たのは、ファンタ ジー世界で、おたく文化を伝導するという仕事!?
ほとんど騙された形で連れ て行かれた場所は、ドラゴンが宙を飛ぶ、まさに異世界だった! が、このあ まりにも異常な状況と展開でも、生粋のおたく育ち・慎一は苦も無く適応!! マジで、ハーフエルフの美少女メイドさんや美幼女皇帝陛下とラノベ朗読で親 交を深める萌え展開に。だが、世の中はやはり甘くない。慎一の活動に反感を 持つ過激な勢力がテロを仕掛けてくる。さらに、その慎一の活動そのものにも 何やらキナ臭い裏が!? 『萌え』で、世の中を変革できるのか? それとも 『萌え』が、世界を破滅に導く!?
――本日はよろしくお願いします。自己紹介をお願いします。
『軽小説屋』の榊一郎です。
平成10年の1月に富士見ファンタジア文庫にて『ドラゴンズ・ウィル』でデビュー、以後、ずっとラノベ屋をやっています。ゲームやアニメの脚本、漫画の原作もやらせてもらったりはしてますが、基本は小説屋。
趣味は観賞魚飼育(淡水・海水両方)――というよりその設備弄りと、モデルガン、エアガンの収集。好きな食べ物は赤飯と焼き肉とインドカレー。
最近の習慣は活動量計持ち歩いてウォーキングですかね。その気になれば延々本当に座りっぱなしの仕事ですから。
――榊先生の一風変わった癖などありますか?
なんかよく意味も無く「しかし」と口にします。独り言で。本当に意味ないんですが。
――榊先生の子供時代のお話を教えてください。どんな子供でしたか?
近所の女の子達とままごとしてました。周りが女の子ばっかりだったもので、どうもスポーツだの何だのよりも『ごっこ遊び』が多かった様に想います。
何故か妙な処で超然としていて――協調性が無いというか、他の子と違う事も平気でしていた為に、周りからはかなり浮いていた様です。ほら、例えば小学生って学校でトイレの『大』するの恥ずかしがったりするでしょう? 周りがそれで大騒ぎしているときに「してきたよ。それが?」とかきょとんとした顔で答えていたとか。
小学校の時には、漢字学習帳に延々小説っぽいものを書いて宿題に提出してました。今にして思えば、よく先生も怒らなかったもんです。
とにかくかわいげのないガキだったと思います。
――その頃から創作をされていたんですね。中高生の頃はどんな青春を過ごされてました?
中学、高校と、バンド活動と、自主製作映画でドタバタしてました。
進学校だったんですが、全然勉強せずに、高校の二年位まで成績は常に下の方。バンドと映画ばっかりに時間を費やしていた為に、『進学校に来てまで何やってるんだ』とよく言われてましたが、不思議と、そういう馬鹿な生徒ほど面白いのか、殆どの先生方には可愛がっていただいた記憶があります。
――影響を受けた作家や本を教えてください。
恐らく一番影響を受けたのは菊地秀行先生でしょう。中学生の頃に読んだ「吸血鬼ハンターD」と「エイリアン」シリーズは衝撃でした。それ以前は割とSF(ハヤカワ系)が多かったんですが、菊地秀行先生と、夢枕獏先生の本で一気にジュブナイル系にはまってました。
今にして思えば順番逆の様な気がしますが。
――なるほど。それで作家になろうと決心されたんですか?
ぼんやりと「なれたらいいな」位には思ってましたが、本気でなれるとは思っておらず、なり方も分からないまま大学生になって、てれてれと原稿を書き溜めていると、富士見ファンタジア文庫が創刊されまして。新人賞の公募も始まったので、何となくそれに向けて色々と。
ただ自主製作映画にはまっていた時期が間に挟まっている為、本格的に投稿を始めたのはその数年後、平成6年辺りからだったと記憶しています。一度、富士見と電撃、集英社の新人賞(未だ当時はSD文庫は無かった)に落選、二度目の富士見の応募で賞をいただきました。
平成九年の九月九日、ゾロ目の日だったので今でも覚えています。