【2020始動特別企画】宇野朴人×二丸修一×三河ごーすと鼎談「なぜ我々は10万部超えの新作を生み出せたのか?」

【「同じことをやらない」は「自らリスクを背負う」ことである】

三河:作品を刊行して、いざ結果が出ると周囲は「売れそうなもの出しやがったな」と言われることが少なくないんですけど、実際はまったくそうじゃない。たとえば『いもウザ』は結果が出た今となっては売れそうな作品に見えるかもしれないけど、発売時点では市場に同系統の作品はほぼ存在しなかった。いざ世に出れば売れそうと思うのに、誰もやれなかった。何故ならその時点でのラノベの流行とはズレていたから。だからそこに踏み込んだ私としては、「この企画は感覚としてはイケる気がするけど、結果は正直わからん」という賭けのような気持ちがあったわけです。きっと他の人は同じことができないし、やらないであろうと確信しつつ、『いもウザ』ではリスクを率先して負うことにしたんです。信じられないかもしれませんが、ウザかわヒロインって、アニメや漫画やTwitter上では愛でられていたにもかかわらず、『いもウザ』企画当時のライトノベルでは、売れ線のヒロイン造形ではなかったんですよ。

二丸:主人公に従順というか、ストレスをかけないタイプのヒロインは確かに多かったし今も多いと思います。

三河:主人公が明確に上であることを示す、それこそ奴隷ヒロインやメイドヒロイン、主人公がパワーゲーム内でそもそも上だとわかっている関係性が流行していましたからね。その只中で、ウザいヒロインの人気を出そうとすることは非常にリスクが大きかったわけです。読者にストレスをかけるんじゃないか、ウザいということ自体が忌避に繋がるんじゃないか、色々考えました。さっきも言いましたけど、そういう背景があるからこそ、みんなやりにくいだろうと思ったし、周囲が二の足を踏みまくっている中で、自分が刊行できたらジャンルとしての先導役になれるだろうと思いました。もちろんただストレスをかけるだけのヒロインではダメだと思っていましたし、今の時代にどんなウザさが喜ばれていて何がダメのデッドラインなのか、その理由探しや分析は相当行いましたね。挑戦するにしても中途半端にリスクを踏み抜くのではなく、突き詰めた上でリスクを踏みにいくわけです。意外と世に出されたものだけをみると、「売れそう」って思われるかもしれないですが、「売れそう」に到達するまでには様々なリスクと試行錯誤があるんだと知ってもらえたらなと。簡単に見えるかもしれないけど、そう簡単じゃないぞ、と。

宇野:『いもウザ』は表紙がヒロインピンの白背景を敢えて選択したって話だったね。

三河:そうですね。パッケージとして白背景のヒロインピンが減ってきたこともありましたけど、イラスト担当のトマリ先生は、キャラクターをすごく写真的に描けるというか、語りかけてくるような切り取り方ができる方で、ピンでもストーリー感を出せるイラストレーターさんだと思ったんです。

二丸:確かにカラーのイラストでもグラビアっぽさは強く感じました。

三河:そうなんですよ。グラビアとしての完成度が非常に高いんです。だからトマリ先生であれば、他のキャラクターとの関係性を表紙で描かなくても、ストーリー性をパッケージに盛り込むことができるだろうとか、ヒロインの彩羽という強いキャラクターであればピンでも戦えるだろうとか、様々な判断がありました。

二丸:ちなみに毎巻、ヒロインが裸足なのは?

三河:家の中での自然体や、心を開いているイメージに繋がればと。そこにはウザいだけのヒロインじゃない要素も伝える意味が含まれていますね。

宇野:全体的なガードの緩さというか、親近感の強さにも繋がってるよね。

三河:ですね。あと、ガードは緩くてもエロくはなかったりする。

二丸:自由で奔放なイメージがあるけど、よくよく見ると健全なんですよね(笑)。

宇野:あらためて意識してみると絶妙だよね(笑)。

三河:ホントこれは奇跡的な塩梅でした(笑)。

二丸:『ななつま』はどうですかね。

三河:あ、気になります。『ななつま』ってぶっちゃけリスクの塊じゃないですか(笑)。

一同:――(笑)。

宇野:確かにリスクを負う部分と自分がプッシュしたい部分とが一致していたこともあったからね。まずページ数が1巻から400ページもあって分厚すぎる点。読む気にならないと思われた方もいたとは思うんですけど、そこはもう仕方がないっていう判断をしました。あのページ数でなければ、『ななつま』の第1巻は描き切れなかったので。

三河:400ページの分厚さをリスクとしてとらえたんですね。でも考えてみたら不思議ですね。400ページだと分厚くてリスキーだって考え方や価値観はどこからきたんだろうって。だって400ページが『ななつま』の1巻を語る上で理想的な文量だったわけですよね。理想的な文量を追求することは、本来リスクとして考えること自体がおかしい気もします。

宇野:作品のことだけを考えるならそうだと思うけど。ただ、分厚くなれば単価があがる、単価があがれば読者も手に取りづらくなる、あと単純に分厚いと、読み切れるかどうかって感じられてしまうことにリスクを感じているんじゃないかなと思いますね。

三河:そこは一般の読者さんが知らない部分ですよね。ページ数の増加が単価上昇に直結するなんて、思い至れる人は業界の人だけだと思います。

宇野:三河さん的には分厚くても読者は気にしないってこと?

三河:分厚いことに納得感があれば、多少値段が上がったとしても大丈夫なんじゃないかなって思ってます。

二丸:あとは読者の傾向もあると思いますね。宇野さんの本なら、ページ数が多くても喜ぶ人が多いんじゃないですか。今回は宇野朴人の物語がたっぷり読めるぜ、みたいな(笑)。逆にラブコメは軽く楽しくっていうイメージがどうしてもあるから、ページ数的には少なめの傾向にある気がします。

三河:でも『いもウザ』も、ラブコメだけど実は厚い方なんだよなぁ。

二丸:『おさまけ』もページ数としてそんなに少ないわけではないですね(笑)。

三河:文量については私も宇野さんと結構近い考え方をしていて、文量の上限を最初から考えるのではなくて、このエピソードを描く上での理想的な量をまず書いちゃう。それで「この文量で出せますか」って編集さんに相談します。編集さんも「この文量だけどしようがないよね」ってことになれば、OKと言ってくれるレーベルも多いんじゃないですかね。ケースバイケースなので、ダメなところはダメかもしれないけど。削るところが本当にないのであれば、それも仕方がないのかなって。

宇野:逆にね、提出した文量でなくても面白さが担保できるという話になれば当然削る必要があるわけで。削りに削った400ページと、無駄が残った400ページではまったく意味が違うことは気を付けたいですね。

三河:読者が最高の体験を得るために必要な文量を1冊1冊が作り上げていけばいいのかなとは思う。

二丸:最高の体験を得るための1,200ページですって可能性もあるかもしれないからね(笑)。

三河:それはさすがに怒られてもいいと思う(笑)。ただ究極的な話、1,200ページで編集さんに叩きつけて、編集さんが「なるほど、これは1,200ページ必要ですね」って言えば全然ありだと思う。これは1,200ページって自分からではなく相手から言わせるものを書けばいいわけだから。それができないのなら削れと言われるのは当たり前だし。400ページも1,200ページも条件は変わらないんじゃないかな(笑)。

二丸:『ななつま』の表紙の話も聞きたいんですけど、構図は最初から決めてたんですよね?

宇野:主人公とヒロインが斬り合っている表紙ですよね。これは悩む余地がありませんでした。まあ是非は一度置いておくとして、考えるに人間と人間のコミュニケーションが一番深くなるのって、自分は戦っている瞬間だと思うんですよ。そういう形で結びつくヒロインがいてもいいはずだと思って、ナナオが生まれた。その時点で「主人公とヒロインが斬り合っている表紙」に内定しましたね。殺伐に寄せ過ぎず、ヒロインは笑みを浮かべて喜んで斬り合う姿。迫力はもちろん、命がけで斬り合っている姿も伝えたかったです。ミユキルリア先生には表紙のイラストに様々な作品としての情報を表現していただいたので、これだけ情報量があればタイトルは説明タイトルにする必要はないだろうと。結果、格好良さをフルに活かしたタイトルに落ち着きましたね。

二丸三河:格好良さはすごい大事ですよ!

宇野:そしてタイトルは1巻ラストの文章と一緒なんです。この瞬間に突き刺さるはずだと見込んで決めました。タイトルは最初に見える看板であると同時に、作品のピラミッドにおける一番上のトップストーンだと思ってます。だから全部読み終えた後に、なんていいタイトルだと思わせることで、より深く刺さると思うんです。なので、タイトルだけをみた時の情報不足は、むしろ望んでリスクを負いましたね。

三河:『七つの魔剣が支配する』だけでは情報量として不足は否めませんし、ひとつのリスクですよね。

宇野:例えばこれがWEB小説として、イラストなしの場合だったらこのタイトルじゃキツかったと思います。でも、イラストを含めて総合的に情報量を増やし、伝えることができるなら話は別だろうと。

三河:確かにそうですよね。

宇野:文庫レーベルにおけるライトノベルを刊行する時の戦い方は、これがひとつの正解というか、大きな戦略の一環になるんじゃないかなって思いますね。

二丸:「同じことやらない」リスクって、一番面白いものを書きたいと考えている時点から負っていると思うんですよね。僕たち3人もそれぞれ考え方があって、その正解は100人いれば100通りあると思うんですよ。単純に方法論だけで語るなら、人気があったり、売れている作品に寄せて書くことで、実際に売れるかどうかは別として、そこそこ売れるかもしれないという背景もある。でも「同じことをやらない」場合には、最高の物語を書くところから始まり、いかにして映える表紙にするのか、いかにして読者まで届けるのか、それをより一生懸命考えなくちゃならない。それ自体がリスクであることも確かなんですよね。

三河:読者が読みたいであろう物語から入るのではなく、自分が面白い物語から考えていくってことですよね。

二丸:そうそう。まずは自分が面白いと思う物語を書く。その後に読者へどう届けるのかを考える。それが今に繋がっている。『おさまけ』の表紙の話もしましたけど、リスク以上に考えたのは、作品タイトルに連動しつつ、イラストレーターさんの一番映える特徴で表紙を描いてほしかったということです。それは僕の考える読者に届けるための「最高の形」だったので。本当に大事なことって、そういうところにあるのかも、とも思います。

三河:私も自分が書きたい作品であるということは間違いないですね。ただ、どちらかというと「自分が読みたい物語」が根底にあるんですけど、お二人はどうなんですかね。こんな作品があったら自分なら買って読む、みたいな。

宇野:ああ、自分はそれに近いですね。

三河:私は「自分だったら買わずにはいられないもの」を、パッケージと内容込みで考えて作っている感じなんですよね。その「自分だったら」という作品を作った上で、「みんなどうよ?」と問うている。そこに同意してくれる方が多ければ売れるし、多くなければ売れないという感じではあるかも。

二丸:大事なのは自分の書きたいもの、あとは作家としての己の特徴や強みを理解していることだと思うんですよね。宇野さんの話の中には、宇野さんの美学があって、それが読者さんに突き刺さっている。自分の特徴と推し、そして強みを理解して世の中に出せることは作家としての強みですから。

三河:その通りですね。

二丸:その上で、自身の特徴や強みをどう作品に活かしていくのかを突き詰めていく。もちろん結果論的なところはありますけど。ギリギリの最後まで、どういうタイトルや表紙ならより読者の心に届くか、といった努力を作家も編集者さんもするべきなんだろうなって思います。

宇野:経験者として厳しいことを言うけど、タイトルも表紙デザインもカバーイラストも「なんとなく」で決めていたら、本当に「なんとなく」なクオリティに仕上がっちゃう。そういう意味では誤魔化しの効かない業界の末席に我々は座らせてもらっているわけです。

二丸:僕ら3人は少なくとも1回以上、本意ではない形で作品が終わってますからね(笑)。

三河:みんな打ち切りの経験がある。作家としての特徴や強みという話の延長線の話として、一言でラブコメと言ってもイチャイチャする物語であったり、恋愛にフォーカスする物語であったり、二丸さんみたいに頭脳戦要素を含む物語であったりといろいろある。『いもウザ』は自分の特性的に一番強いと思った青春の要素に多めに入れてて。夢や目標を持っている人間がすごく好きだし、うまくいったりいかなかったり、もがいたりしながら一喜一憂する姿や仲間、人間と人間の関係性の変化が好きだから自分はそこへ落とし込んでいる。なので、一概にラブコメと言っても様々な物語があって、読んだ方の中には自分が求めているラブコメじゃないっていう方もいらっしゃると思うんですけど、そこは割り切るしかないと思っています。私の趣味と合わなくてゴメン!って。

宇野:まあ、我々作家という職業は、最終的には読者の好みに寄せるんじゃなくて、作者の世界に引きずり込まなきゃいけないからね。

三河:めっちゃいいこと言いましたよ(笑)。

二丸:さすが日本一の作家!(笑)。

宇野:うわー! 良いこと言ったのに煽られる!(笑)。

三河:でも実際そうなんですよね。それができなくちゃしようがないよねって気がします。まさに作家としての本懐なわけですし。

二丸:全員に好かれること以上に、自分と相性の合う人を確実に取り込むぞって気概でやることが必要かなって思います。

三河:一定の需要に応えながらも「ちょっと俺の世界にこいや」みたいな、そういう仕事なわけで。そこを忘れたくはないですね。

――とはいえ現実問題として、様々な要因から業界的にそのガツガツとした物語への取り組みが足りてない可能性もあるのかもしれません。

三河:実際ジレンマだと思います。本音を言えばみんなそうしたいと思っているだろうけど、現実問題としてどうすれば読者さんを自分の世界に引きずり込むことができるのか、悩んだり躓いている人も多いんじゃないですかね。もちろん、自分の世界に引きずり込むってことは、とんでもなく難しくて簡単なことじゃないです。まずは簡単ではないということをきちんと認識することが、第一歩になるんじゃないでしょうか。二丸さんなんて新刊を出すのに4年もかかってるわけだし(笑)。

二丸:本当ですよ!(笑)。

宇野:本当に簡単ではないですからね(笑)。

――ここまでリスクのお話をそれぞれしていただいたのですが、リスクがあるなら逆にノーリスクはあるのかっていう話にもなるわけでして。

宇野:事実上今の時代にノーリスクは存在しないですよ(笑)。

三河:そうですね。ラブコメを書けば100万部売れますとか、ファンタジーを書けば100万部売れますとか、そんな時代ではないですから。

宇野:それこそ、このジャンルなら最低でも3冊は出せるというボトムすらどこにもないじゃないですか(笑)。

――そうですよね。そうなんですけど、ノーリスクに近しい「何か」の気配は感じずにはいられないという(笑)。

三河:グイグイきますね(笑)。それなら少々言葉を選ばずに触れますが、ノーリスクではないけど、「置きにいく作品づくり」であったり、「ノーリスクだと思われる作品づくり」、みたいなものはある。「現在実際に売れているもの」や「今まさに流行っているもの」に近しい作品を、失敗リスクが低い作品と認識されやすいのはあるかもしれません。先の系譜の話ではないですけど、人気作に近いものをそのファンが買ってくれる可能性はあるわけなので。ただ、本質を引き継いで新たな魅力が付与された「系譜」になっていれば次のムーブメントになりますが、ただ人気作に近いだけのものであれば、うまくいかないんだろうなって思います。このあたりは正解や間違いの二択で語ることはとても難しいですね。

宇野:つまるところ、雨後の筍になっていないかどうかなんじゃないかな。

二丸:物語もそうですし、デザインなんかもそうだと思うんですけど、目立つ作品に寄せたものが増えるというのはどこの業界でも一緒のような気がしますね。

宇野:それこそ『鬼滅の刃』っぽいものっていう話に繋がっていくんだろうなあ(笑)。

三河:本当にただ同じものを作っても仕方ないんですけどね(笑)。特に成功したパッケージを参考にしすぎるあまり、イラストレーターさんの特性を無視したイラストが発注されたり、その作品に合わないキャッチやタイトルがつけられていたりするのは、本当にやめた方がいいと思ってます。

二丸:これも参考にするべき「本質」っていう話に繋がっていくんだろうなと思いますね。

<5ページ目:キャラクター産業の最前線にい続けるために反省を活かしていく>

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